無題

病院の待合室でぼんやりと順番待ちしていたら

面識の無い80代位と思わしきシニアの方に

テレビなら禁止用語の数々の言葉をなげかけられ心底驚いた

驚きすぎて固まっていたら

親族の方がすみません痴呆がありまして…と平謝りされた

なるほど…と納得はしたが

それからずっと考えている

自我を失って?いや、失いつつも生きていく意味はあるんだろうか

老いは誰しもおとずれると頭で理解はできるが心は自我を失ってまで生きたいとはどうしても思えなかった

己れの親はそうなったら、どうしたいんだろう

今度、会う時に意見を聞いてみたいと思った

日常のつぶやきメモ

日常のどうでもよい日記メモをしていこうと思う。

 

今日は非常に疲れた。

母方も父方も方言が強い地の出身で親族も同じく。

関東生まれ関東育ちの自分には親族と話すことが本当に疲れる

気取ってる云々と言われても

自分は方言の無いところで育っているから仕方がない

生まれた場所も父母が上京して根づいて場所で育ったから仕方がない

大人になるまで父母の生まれ育った地に冠婚葬祭以外で行くことがなかったから方言に触れることもほぼなかった

それを知っている親族達のはずなのに方言で問われてもわからず聞き返すと気取ってると捉えられる

電話のやり取りだけでこの疲労

とても移住など自分には無理と思うが

これからどんどん歳をとっていく親が生まれた地に帰りたい移住したいという気持ちも無下にできない

こんな事で親と言い争いなんてしたくないが無視できない問題になんだろうな

ブログ初日に日記というより愚痴とは(苦笑)